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No.2 夕霧太夫(2/3)

last update Last Updated: 2025-07-22 11:00:23

 あの子と繋がれた赤い糸のことを「鬼子のエニシ」というと、後から夕霧太夫に聞いて知った。今こうして自分の薬指を見ると、うっすらと赤いエニシの糸が見えている。それはあの子がいるほうに向かって伸びているが途中で消えて見えなくなっている。あの子にもこの糸のことが見えているといいけれど、それは分からない。

 夕霧太夫が、あの子がいる暗がりに向かって頷いていた。それを機にローファーの足音が地下道の中を遠のいて行くのが聞こえてきた。今夜のボクの鬼子使いは夕霧太夫が務めてくれるようだった。

 あの子と鬼子のエニシを結んだ後も、ボクは潮時毎に目覚めては殺戮の衝動を抑えられず、いてもたまらなくなって街に繰り出しては獲物を探していた。それをあの子がエニシの力で地下道や青墓の杜に誘導しれくれなかったらボクはどれだけの人を犠牲にしたかわからない。けれども、あの子も鬼子使いになったばかりは、ボクのことを完全に制御できたわけではなかった。時にボクは暴走し、街の灯に向かって駆け出す事があった。そういう時どこからともなく夕霧太夫が現れて、ボクに真っ正面からぶつかってきた。暴走したボクにとって目の前に現れたものは屠るべき獲物でしかなく、それが自分に数十倍する力量の夕霧太夫であっても関係なかった。ボクは巨大な岩のように立ちはだかる夕霧太夫に勝負を挑んだ。夕霧太夫は人を超えた力を持つ鬼子のボクをいとも簡単にあしらった。何度も立ち上がり何度も挑みかかったけれど、ボクは夕霧太夫を退けることができなかった。そしてボクが闘い疲れて地面に突っ伏して動けなくなると、さっきのようにあの子に頷いてどこかへと去って行った。そうしたことが数年の間続いたけれど、ある日ボクは夕霧太夫に一太刀浴びせることに成功した。それまで闇雲に攻撃を繰り出していたのを、一歩下がって相手の隙を見極め攻撃したことが功を奏したのだった。

「できるようになったじゃない」

 夕霧太夫がボクが付けた頬の傷を指で撫でながら近づいてきた。その赤い血を拭き終わったとき夕霧太夫の頬はもとのままの透き通るような肌に戻っていた。それを見ながらボクは自分の異変を感じ取っていた。

(考えた)

 そう。ボクは初めて頭を使って闘っていたのだった。今から思うとそれまでの全ての戦いは夕霧太夫による特訓だったのだ。
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     二年前のあの日、雨が降っていた。十六夜と初めて話した日だ。高校入学直後で部活も決まっていなかったから放課後はまだ冬凪と一緒に帰っていた。あたしは図書館に紙本を返しに寄っている冬凪を待って、雨降る校庭で傘を差して時間を潰していた。校庭は朝から降り続いた雨のせいで水浸しになっていて、幾筋もの雨水の流れが出来て、まるでジャングルを流れる大アマゾン川のように見えていた。あたしはその一つの流れにしゃがんで、澄んだ水の底を小さな砂礫が押し流されてゆく様子や、雨水が校庭の土を崩しながら新しい流れを作るのを眺めていた。神様の営みを小さくしたようなこの景色があたしは大好きだった。傘に落ちる雨の音を聞きながらそうしていると、目の前の流れに鮮やかな緑の葉っぱが流れてきた。「眺めてるだけじゃ、万物流転を味わえないよ」 雨の小川の上流で声がした。立ち上がってそちらを見ると傘も差さずに前園十六夜が立って雨水の流れを見つめていた。同じクラスだったけどそれまで話したことはなかった。お互い教室の反対の隅で一人でいたし、十六夜についてはヤオマンHDのお嬢という情報から勝手に近づきずらいと思っていたからだ。「地面を崩しながら水が流れる様子って万物流転の理そのものだと思う」「万物流転」 あたしには聞き慣れない言葉だったけどそれを口に出してみると十六夜が言いたいことがストンと入ってきた。続けて十六夜が、「こんな身近なところで世界の真理を知れるなんてすごいよな」まさに、それこそあたしが思っていたことだった。自分と同じように考える人がそこにいた。それはとても新鮮で特別なつながりが感じられた。「でも眺めてていいのは神様だけだ。人は万物流転とともにあるから中に入らないと」 このミニアチュア世界に入る。「それで葉っぱを」「船を浮かべて流れに棹すんだ。でないと人生の面白味がわからない」「そっか」雨にそぼ濡れた十六夜に傘を差し掛けた。「ありがと。藤野さんなら分かると思った」と満足そうにした。「あたし前園十六夜。同じクラスの。十六夜って呼んで」と右手を差し出してきたので握手かと思って右手を出した。

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    「ちょっと待って、あたしに考えがある」 振り向くと、石橋のアクセスポイントに十六夜が立っていた。十六夜は、いつものように明るい顔色をしていて昨日のことがうそのように軽い足取りであたしたちの元に近づいてきた。あたしはその十六夜に気の利いた言葉を掛けることが出来なかった。それが十六夜の実態を投影しているのかどうか分からなかったから。 十六夜は黒と白の砂利山の間にしゃがんで双方をしばらく見比べていて、すっくと立ち上がった。「波を描こう。白と黒の」「どういうこと?」「今まで白い玉砂利だけで波紋を作っていたけど、白黒を交互に蒔いて描くんだよ。そうすると波紋がより立体的になる」 その意見に対してゼンアミさんがすかさず、「そういった事例がありません。これを採用すれば消失した六道園の再現という意図からはずれてしまいます」 当然そう言うだろうと思った。それに対し十六夜は意外なことを口にした。「どうして言える? このデザインがなかったって。あたし見たんだ。白黒にうねる州浜を。六道園で」 そういった時、十六夜が見ていたのはあたしたちではなかった。別の次元にある理想の日本庭園にいる十六夜自身を見ているようだった。 しばらくの間、十六夜とゼンアミさんは意見を闘わせていたが、曲げそうにない十六夜にゼンアミさんが折れる形で提案した。「ならば二つの意匠のプロジェクトを残しましょう。一方は今まで通りの白い州浜の、一方は白黒の波紋のある州浜の」 十六夜は自分のアイディアが本採用されなかったことに不満があるようだったが、それを承諾した。そして、「元祖」のところで両手の指でカギ括弧を作りながら、「あたしらの『元祖』六道園には舟を浮かべよう」「舟?」「舟と言っても木の船じゃない。石舟だよ。そういうのあるよね、ゼンアミさん」「たしかにございます。ただし六道園とは時代も意匠も異なる京都の大徳寺庭園に」「どうして舟が必要なんでしょう?」 鈴風が不安そうに尋ねた。その不安の原因は突拍子も無いアイディアにというより、いつもとは全然違う十六夜の振る舞いに対してのように見えた。「

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     ゼンアミさんが正気にもどって本日の作業の指示をくれた。「この州浜はまだまだ砂利が薄うございます。本日は匠の御方と鈴風様は私が用意する玉砂利をここに敷き詰めていただきたい」 というと、州浜の白い玉砂利を拾い、それを指をこすって大量の砂利を州浜の上にこぼしだした。なんだ、さっきのは予行練習だったのか。そしてあたしの目の前に膝高くらいの小山が出来ると、「よろしくお願いしますよ」 と立ち去ろうとした。その時ふと思い出した。サルベージした品の中にあった黒い玉砂利のことだ。「ゼンアミさん、黒い砂利は出せる?」「はい、調達物資に那智黒があれば造作も無いことでございます」 六道園プロジェクトで用意しているデータの中に黒い玉砂利があればということだ。「試してみて」 町役場のサルベージ物資の黒砂利をヤオマンHDが必要と考えてくれていれば、調達物資の中にあるはずだった。 ゼンアミさんは着ている半纏の袖に手を入れてまさぐると、「ありましたよ」 と言って指先にダルマを潰したような黒い石をつまんで下に落とし指先をこすると、ボトボトと音をさせて白い州浜の上に黒い小山を築きだす。そして先ほどの白い玉砂利と同じ嵩までになったところで止めた。「さて匠の御方。これをどうなさいますか?」 と言われたので、「白砂利の下に埋めたらどうだろう」 ゼンアミさんはいぶかしそうに小首をかしげ、「はて、そのような資料がありましたでしょうか?」「いや、ないけども、おそらくをそういう事なんじゃないかと」 言っておきながらなんだけれど、弱すぎると思った。この六道園プロジェクトはあくまで再現だ。新しい庭を作るのではない。現状で分かっていること以外の事柄を付け加えようとするならば、必ずエビデンスを必要とした。それについては庭師AIは徹底していて、何をするのも資料の存在を第一に指摘する。それゆえ、あたしは鞠野文庫へ忘れ去られた資料を探しに行ったのだった。「おそらくと申されましても、私の預かる資料にはそのようなことはございませんので同意しかねます」「鈴風もそう思う?」

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